日本一つまらない自己啓発ブログ

たぶん、嫌がられ度NO.1な自己啓発ブログです。

体の声 聞いていますか?

話すのが苦手!どうしたらいいのか?
だからコミュニケーションスキルを磨きたいって人 結構多いです。
うまくいかないから悩む…
そんな経験ありませんか?


私は毎日悩んでます(笑)


でも一番話さないといけない人って 誰でしょうか
目の前の人?
職場の同僚・上司?
お客さん?
家族??


違うと思います。
一番話さなければいけないのは自分です。


人生で一番身近にいるのが”自分”ではないでしょうか
生まれてからなくなるまで一番長く付き合うのも自分です


しかも自分自身を等身大で見ることってかなり難しい・・・
目で見ることも、話しかけても言葉では返ってきません


正確には、普段から体から声が聞こえていると思います。
ただ、その声はあまりにも小さく、あまりにもささやかにしています。
もちろん拒否や主張もすることなく 
自分の行動に付き合ってくれています。


私の職場に入院される方の多くは
自分の声に耳を傾けなかった方が多いです。
病気になった人に聞いてみると意外な意見が返ってきます。


「どうしてこうなったんだ?」
「あれだけがんばっていたのに・・・」
「医者が悪い、もっと強く言ってくれていれば。」 → 言ってましたよね…



体からのSOSに気がついていましたか?と聞いてみると
「気がつかなかった」
「忙しいから我慢していた」
「いつものことだから」
「食べたいから食べる」
などと返ってきます。



結局はわかっていても、困っていなければ無視するんだなと感じます。
職場でもそうかなと。
SOSを出していても「仕事が回っているから大丈夫」「根性が足りない」
などと対応していると、いつか”しっぺ返し”がきます。



気がついていた人の話を利くと
「なんとなくおかしい」
「いつもと違う」
など”違和感”として感じています


この違和感は、
「動きにくい」「使いにくい」
「寝にくい気がする」
「背中が違う」
「悲しいときが増えた」
「汗が出る」「眠い」


など
 ”いつもと比べて” 
 ”前よりも”
 ”よくわからないけど”
 ”そういえば…”


といった前置きがつくことが多いようです。


もし、皆さんが そういえば… ん? など 体の感じが違ったら
体の声を聞いてあげてください。


ゆっくり休んだり
目を閉じて感じてみたり
わかりにくかったら健康診断を受けてみるのもよしかもしれません。
→健康診断はこれらを数値化してくれるものもあるため、原因を探るきっかけになります。


しっぺ返しが来る前に
取り組みたいものです


過去の先人たちの失敗・反省を”自分(私)の人生で”繰り返さないために


そのための対応をぜひ行ってください

どのように生きてきたか?①

生活暦のデータをみると、その方がどんな人生を歩んできたかが垣間見れることが多いです。


先日入院された方ですが、建築系の社長業をされていました。
仕事一筋+宵越しのお金はもたねぇ!タイプの方でした。
羽振りもよく、飲み・食事にすべてを使い果たしてきたため


当然ながら生活習慣はぼろぼろ、
糖尿病+高血圧を呈していても特に治療はしてきませんでした。
家族とも疎遠となりひとりでがんばってきました。


そんな彼は60歳を過ぎて、脳梗塞をして動けなくなり入院の運びとなりました。
入院費も決して安くないため、収入の程度は確認されますが
国民年金+αのみ、両親から生前贈与をしていたようですがすべて使い果たしていました。
元社員の人が買い物のお手伝いをしてくれるだけで、最寄の人はいない状態です。



TVでも新NISA,老後2000万問題、老後資金という未来の不安に対する情報もあれば
生活保護もらえばいいじゃん!といった意見もある中で、
どのように生きるのが、いいのかを考えさせられる一件でした。


若いときに楽しむのがいいのか、年を重ねてから安心するのがいいのかはわかりませんが
ある程度のお金、ある程度の人間関係は必要なんだなと感じました。


とくに、年賀状も送るだけの関係、そういえば遊ばなくなった友人
仕事を退職後に連絡も取らなくなった元同僚


本当に大切な人ってだれなんでしょうか?


家族? 子供のころからの友達? 両親?兄弟?
近所の人?


皆さんは、誰が大切な人ですか?
お金はどのくらいあったらいいでしょうか?

骨折して思”ふ”こと

先日の利き手の薬指の付け根を骨折しました。
具体的な診断名は 第四(環指)中手骨骨頭骨折 転移なしです。


簡単に言うと、付け根の骨が折れていて、折れた骨がずれてないですよってことです。


利き手のため、右手でご飯食べて、文字も書いています。
使えない分、頭を使わないと生活と仕事にならないため、ひっきりなしに考え、気付きがあります。


進化している感じがあり、いい経験だと考えていました。
これはなれた動作からは、新しいことは生まれない。
頭を使わなくいいのは学習のよいところであり、退化にもつながるのかな?と思いました。


他に気になることとして、注意が散漫になる場面がありました。
右手を使う分、頭を使うため、他の事にリソースが避けていないのかもしれません。
利き手を使えない分、左手をつかさどる頭の領域は使わないことを”覚えようと”します。


これを”学習性不使用”といいます。
本来は脳卒中などで手を使えなくなったことに対して、使えないと頭が覚えてしまうことを指します。


今回でいうと、右手は左手を使っていたことにより、不使用を覚えていたのが、
使わないといけなくなったことに対し、
左手は使わないため、使えないことを覚えたということ。


私の左手が回復したら元の生活に戻るでしょう。


皆さんも考えてください。
もしこれが全身だったら?勉強だったら?仕事だったら?
出来る能力も、動けなくなったことで、”出来ない”と思ってしまうかもしれませんね。
もしくは、行っていないのに、出来ないと学習しているかもしれません。



もし共感していただけるなら…
出来ないことなんてない、とりあえず試してみる。
そこで出来ない学習を書き換えてみる。




まとめ
普段から「不便を楽しむことも大切」「あえて遠回りをしてみる」
「出来ないと思うことをやってみる」


今日も元気に行きましょう。